2歳の女の子を母親がベランダから投げ落としたというこのニュース。
同じ2歳児の母親。しかも同世代。
この母親も私と同じ専業主婦だったようです。
このお母さんがしたことは絶対に許されないことです。
でも、どこかで「紙一重」「他人事とは思えない」と思う自分もいます。
■夫がいたのに何故?というけれど
yahooのコメントを見ていると、
「父親がいたのになぜそんなに追いつめられたのか?止められなかったのか?」というコメントがありました。
私のことを言えば、寝てるだけだったり自分の好きな事ばっかりしてる夫が家にいると、正直子どもと2人きりの時よりイライラします。
自分しかいなければ、やるしかないんです。この局面を乗り切ることに必死で、余計な事考えている暇はありません。
でも、夫が家で自由にしてると考えてしまう。自分はこんなに制約されているのになんで?と。
でも、働いてきて疲れているんだから休んでほしい(休ませてあげなくちゃ)という思いもある。
自分が専業主婦だから、もうどうしても限界というわけでなければ自分でやらなくちゃという思いもある。
夫が視界に入るばっかりに、「何で自分ばっかり」と「私がやらなくちゃ」の板挟みでつらい。
そんなときに限って、自分のイライラが伝染して子供もイヤイヤになったりする。
このお母さんもそんな感じで、不意に何かが限界突破してしまったのかなと…
殴るでも放置するでもなく、ベランダから投げ落とす、という常軌を逸した行動にも、子どもが憎くてやったのではなくて、何か別のベクトルにあるイライラを子供にぶつけてしまったのではないかと感じます。
イライラして、扉を「バン!」と閉めるとか、お茶碗を「ガシャン!」と置くとか。そういうのと似たような。
■逃げればよかった、自分がベランダから落ちればよかったというけれど
こういうコメントも多かったのですが、
育児中の母親は、「子どもを何とかしなくちゃ」という思考回路に陥りがちです。
泣き止ませなくちゃ
ごはんを食べさせなくちゃ
お風呂に入れなくちゃ
うるさいから静かにさせなくちゃ
…などなど。
変な話ですが、私は学生や会社員の頃、会社(学校)に行きたくないとき等はしょっちゅう「もう消えたい…」等と思っていたのですが、子どもを産んでからほとんど思わなくなりました。
(ただ単純に会社にも学校にも行かなくなったから?)
でも「自分がどうにかなりたい」より、「子どもをどうにかしなきゃ」が勝っているからそうなったのかなと思います。
だから、このお母さんもとっさに自分が退避するというのが思い付かなくて、「この子をなんとかしなくちゃ」→「ベランダから落とす」になったのかもしれない。
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でも、どんなに私が母親側の気持ちに立って考えてみても、「紙一重」「他人事とは思えない」と私のような赤の他人が情状酌量を求めても、失われた命はかえってこないのです。一時の感情の高ぶりで、戻れない過ちを犯してしまった。
育児とは、子どもによる感情の揺さぶりとの闘いだとつくづく思う。
いい方の揺さぶりだととてつもなくかわいくて幸せだけど、
悪い方の揺さぶりだととんでもなくつらく心が乱される。
その振れ幅に耐えられるか。
おとといも出先から帰る車に乗りたがらず暴れる娘に「うるせー!黙れ!」と言ってしまいました…ちなみに私は、黒髪メガネ全身ユニクロの、地味目、ともすれば他人になめられがちな外見で、他所ではまず「うるせー!黙れ!」等とは言わない。私を知っている人も私が「うるせー!黙れ!」などと叫んでいるところは想像できないであろう。
そんな私は、やはりこの事件をどこか他人事と思えない。
辛かったら子どもを何とかするんじゃなくて、逃げても何でもいいから子供に危害を加えないことを肝に銘じておこうと思う。