4月に友人の結婚式に出席する予定が2件あります。
そのうち1件は、夫婦でご招待いただき
「お子さんと一緒でも大丈夫ですよ」って言っていただいたのですが、
大騒ぎしてお式を台無しにしたら…と思うと私のチキンハートがもたないので、
私の中には子供連れて出席という選択はありませんでした。
特に長女は、こちらが暴れるなよ、絶対暴れるなよ…って神経とがらせてる時ほど盛大に暴れるので。
その辺はこちらの記事にも少し書いています↓
というわけで、「子どもは預けていきます」と言ったら、
新婦さんから「提携のシッターさんを紹介できますよ」とご案内いただき。
あれよあれよと、式場内のお部屋で、提携のシッターさんに見ていただけることになりました。
お部屋の手配、シッターさんの予約など、全部新郎新婦が手はずを整えてくれるそうで。ありがたいやら申し訳ないやら申し訳ないやら申し訳ないやら。
新婦さんとやりとりをしている横で夫が
「親族でもないのにすごい迷惑かけちゃってるよな~」
と何気なく言って、
私がその「迷惑」というワードに反応して不機嫌になってしまった。
ていうか少し泣きました(;'∀')
「迷惑」がトリガーワード
もともと、よそ様に迷惑をかけたくないという思いが強い方だったけれど、子どもを産んでから輪をかけて「迷惑かけちゃいけない」という思いが強くなった。
だから、「迷惑」という言葉に超敏感に反応してしまうのである。
それが、共に育児をしていく同志の夫から発せられたものであっても。
今回の件も、迷惑をかけない為に子供を預けることにしたのに、
子どもを預けることで相手方の雑務を増やしてまた迷惑をかけてしまった。
というのは夫に言われるまでもなくヒシヒシと感じている。
こんなに迷惑をかけるくらいなら、
少し遠いけど義両親に預ければよかったか。
ご厚意に甘えないで自分で託児を探せばよかったか。
そもそも、私は欠席すればよかったか。
とぐるぐる。
ついでに、自分の結婚式の時も子供のいるゲストがいたのに、託児とかそういうことに全然気を回せなかったので、子供のいる方にとっては大変だったろうな、迷惑かけただろうなとまたくるぐる。
ただ、純粋に友人の晴れ姿を愛でてお祝いしたいだけなのに、迷惑だの迷惑じゃないだのそんなことをグチグチ悩んでいる自分が情けない。
でも、実際迷惑かけているわけで、それもまた情けない。
だけれども、開き直るわけではないけれど、子どもを持ったら誰にも全く迷惑かけずに生きていくのは難しいと感じている。
仕事や趣味など、立場の違う人とかかわるようなこと(=人に迷惑をかけそうなこと)はことごとく回避してきたけれど、人間社会で生きている以上100%回避できるわけではない。
すれ違う子供の声や子持ちの動きの鈍さにだってイライラしたり、迷惑と感じたりする人はいる訳で。
もう少し、迷惑をかけることに対して鈍感になったほうがいいかも、という気もする。
例えば、今回の件ならば
お言葉に甘えて子供連れて出席して大事な場面で暴れるよりは、事前にシッターさん手配などのお手数をかける方が、迷惑を最小限に抑えられたと前向きに解釈するとか…
とはいえ、あまり鈍感になると本当に「開き直って迷惑かけている子持ち」になってしまうから、さじ加減が難しい。
迷惑だの迷惑じゃないだのグダグダ考えるのはこれで終わり。さわやかに感謝して、きっちりお礼して、世間の子持ちの印象を下げないようにしたい。
「おかあさんだから」
先に、迷惑かけるぐらいなら結婚式欠席した方が良かったか、と書いたけれども
今話題の「おかあさんだから」の歌詞を読んで(歌はまだ聴いていない)
やっぱり行きたいんだから出席しようと思った。
「おかあさんだから○○やめたの」って言うのは・・・
なんだかやっぱり未練がましいというか、被害者妄想というか。
はたから見ていて気持ちいい姿勢ではないなと。
この歌詞には憤りの意見が多いけれども、
私はこの歌詞通り「おかあさんになったから○○やめたの」ってついつい被害者妄想しちゃいがちなので、
自分のそういう後ろ向きなカッコ悪い姿勢を鏡で見せられた感じがして、
「やりたいことは子供をいいわけにしないでやろう」と姿勢を正された感じがします。