実家に帰省した数日後、隣町に住む祖母が倒れたと連絡が入りました。
胸の痛みを訴えて近所の医院を自ら受診、先生が深刻な病状と判断され、大病院に運ばれました。
診断は大動脈乖離A。
血管の壁が裂けてしまう、高血圧の人に多い病気だそうです。
高齢のため手術はできず。
倒れた翌日の夜に亡くなりました。
88歳でしたが、畑仕事に、パソコンで株取り引き、旅行などにもよく出掛けてて、本当に直前まで元気な祖母でした。
なので、ピンピンコロリと言っていい最期だったかもしれません。
とはいえ、倒れてそのまま・・・というわけではなく、亡くなった日の日中までは意識もしっかりしていたので最後に言葉を交わせたのでよかったです。
病院で亡くなるということ
病院で亡くなる場合、家族に看取られながら静かに息を引き取るのは本当に難しいなと思う。
「皆さんで来て下さい」と病院から電話が入って、急いで病院に行ったけれど間に合わなかった。(父の時も、もうひとりの祖母の時も間に合わなかった)
「娘さんだけ先に」と言われ、母と伯母が入室したのですが、その時にはもう電気ショックで心臓だけ動かしている状態だったそうです。
「痛いと思うから、電気ショックやめてもいいですか?」とお医者さんに聞かれたそうです。
テレビドラマみたいに、家族に手を握られながら、静かに目を閉じて・・・とはなかなかならないなと。
最後の時にそばにいられたらよかったけど、それが今日か明日かもわからないのに、24時間病院にいるわけにもいかないし。面会時間だって限られているし。
電気ショックで痛い思いはしなくてもよかったんじゃないかって私はおもうけれど、祖母はどう考えていたのだろう。事前に「もしもの時は電気ショックしなくていいです」とか意思表示するチャンスはあったのかな。
などと、色々考えてしまいました。
親の老後のこと。
これで私にとっての父方/母方の祖父母が全員亡くなりました。
これで一つの時代が終わったというか、
自分の生きるステージも一段階繰り上がった気がします。
母と伯母とのやり取りなど見ていて、母にもしもの事があったらの事を考え始めなければならないなと思いはじめました。(まだまだ元気な母ですが。)
父は既に亡くなっているので夫婦で助け合って・・・とはいかないし。
妹が今は実家にいますが、私が遠方に住んでいることを日頃からあまり良くは思ってない感じがします。
母に何かあったときに妹の負担感・不平等感を減らせるように、母も安心して過ごせるように、私が出来ることは何なのか、今一度考えてみたいと思います。
祖母のこと
ブログにもいくつか祖母との思い出を記事にしていました。
小柄でちょこまか、天然かつアクティブな祖母。
「この歳だから無理」みたいな弱気発言は一切聞いたことがありません。
とにかく人にモノをあげたがる人で。
野菜、果物、服、雑貨・・・新品中古問わず、いろいろくれました。
押しの強さに、煙たがられることもしばしばでしたが・・・(^^;)
88歳のおばあちゃんにしては、なかなかの人数の方々が葬儀に来て下さり、そういう人との関わりが祖母の元気の源だったのかなと思ったり。モノをあげようとして煙たがられるのも含めて。
近所の人や親戚とそれだけ関わりのあった祖母がなんだかうらやましくなりました。
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もっと「今までありがとう」とか言えたらよかったんですが、
本人は生きる気満々で「退院したら役所に手続きに行かなきゃ(^_^)」とか言ってるので、「しっかり休まれ」としか言えなかったです。
ばあちゃんの孫でよかったよ。
いつもおいしい野菜をありがとう。
ヒッチハイクでユニクロ行ったり、破天荒な行動で驚かせてくれてありがとう。
子どもたちを可愛がってくれてありがとう。